ベートーベンは生涯独身だった為、
「女性に興味がなかったのか、それとも女性に相手にされなかったのでは?」
と思ってしまいますが、実はそうではありません。
ベートーベンは見た目によらず結構モテていて、婚約まで考えた女性がいます。
ここではベートーベンの生涯での婚約者一覧と、交響曲第四番の女性の名前は誰かについてもご紹介します。
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ベートーベンの生涯での婚約者一覧
ベートーベンの生涯での婚約者の名前を一覧でご紹介します。
ジュリエッタ・グイチャルディ |
1782年11月23日。 現在の西ウクライナで生まれ。 オーストリアの伯爵夫人。 |
テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック |
1775年7月27日。 現在のスロバキア生まれ。 ハンガリーの伯爵令嬢。 ハンガリー名はブルンスヴィク・テレーズ。 |
ジョセフィーヌ・フォン・ブルンスヴィック |
1779年3月28日。 現在のスロバキアで生まれ。 ベートーベンの生涯でおそらく最も重要と考えられる女性。 |
アントニー・ブレンターノ |
1780年5月28日。 オーストラリア生まれ。 慈善家、美術品収集家 |
ジュリエッタ・グイチャルディ
ジュリエッタ・グイチャルディは、現在の西ウクライナで1782年11月23日 に生まれました。
当初はベートーベンにピアノを教えてもらう間柄だったのですが、ベートーベンの方が彼女の事を好きになってしまいます。
その時の事をベートーベンは、
「私の人生はいま一度わずかに喜ばしいものとなり、私はまた外に赴いて人々の中に居ます – この2年の間、私の暮らしがいかに侘しく、悲しいものであったか信じがたいことでしょう。この変化は可愛く、魅力的な少女によってもたらされました。彼女は私を愛し、私も彼女を愛しています。2年ぶりに幾ばくかの至福の瞬間を謳歌しています。そして生まれて初めて – 結婚すれば幸せになれると感じているのです。しかし不幸にも彼女は私とは身分が違い – そして今は – 今は結婚することすなどできやしないのです。」
引用元:https://ja.wikipedia.org
と言って、ジュリエッタ・グイチャルディとの関係を「本当の恋愛関係」だったと告白しています。
しかし残念な事に、この愛は成就する事はありませんでした。
なぜなら当時は、「音楽家の身分は低い」とされていたからです。
なので上流階級であるジュリエッタ・グイチャルディはベートーベンを相手にせず、上流階級であるヴェンゼル・ロベルト・フォン・ガレンベルク伯爵と結婚してしまいます。
この時、他の男の人と結婚するとは思っていなかったベートーベンがジュリエッタ・グイチャルディに送ったとされるのが「幻想曲風ソナタ」と言われる、後の「月光」です。
しかし本当はこの「月光」、実はジュリエッタ・グイチャルディに送るつもりで作曲した訳ではありません。
当初ジュリエッタ・グイチャルディに送るつもりだったのは、「ロンド ト長調作品51-2」だったそうです。
しかしその曲がヘンリエッテ・リヒノフスキー女伯爵に送らなければならないので、代わりに「幻想曲風ソナタ(月光)」をジュリエッタ・グイチャルディにプレゼントしたと言う訳です。
つまり「幻想曲風ソナタ(月光)」は、「ロンド ト長調作品51-2」の代替え曲だったんですね。
テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック
テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックは1775年7月27日、現在のスロバキアで生まれ、兄弟姉妹にフランツ・ヨゼフィーネ(ジョセフィーヌ)・シャルロッテがいます。
1806年、ベートーベンと婚約しますが、1810年には婚約を破棄しています。
婚約を破棄しますが、テレーゼ・フォン・ブルンスヴィックはベートーベンの弟子だったのでベートーベンからピアノソナタ第24番をプレゼントされます。
これが「テレーゼ」と言われる曲です。
「エリーゼのために」ではありませんよ!
「テレーゼ」です。笑
ジョセフィーヌ・フォン・ブルンスヴィック
ジョセフィーヌ・フォン・ブルンスヴィックは、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックとも言われる事があります。
ジョセフィーヌ・フォン・ブルンスヴィックは現在のスロバキアで 、1779年3月28日に生まれました。
ジョセフィーヌもベートーベンにピアノを教えてもらっていましたが、次第にベートーベンの事が好きになり、結婚を考えていたそうです。
しかしジョセフィーヌもジュリエッタ・グイチャルディと同じように上流階級であった為、二人の結婚は認めてもらえず、オッサンであるヨーゼフ・デイム伯爵と結婚する事になります。
ヨーゼフ・デイム伯爵と結婚するのですが、ジョセフィーヌが4人目を妊娠中そのヨーゼフ・デイム伯爵は肺炎で死んでしまいます。
そんな時にベートーベンが贈った曲が「希望に寄せて」や「アンダンテ・ファヴォリ」です。
またベートーベンは、ジョセフィーヌが亡くなる年である1821年に、自身の最後のピアノソナタである第31番と第32番を作曲しています。
アントニー・ブレンターノ
アントニー・ブレンターノは1780年5月28日 、オーストリアのウィーンで生まれ、銀行家のフランツ・ブレンターノと結婚します。
しかしその結婚生活は夫との性格の不一致であったり、主婦としての苦労、そして自身の父親の看病で疲れ果てていました。
そんな時アントニーはベートーベンと出会います。
心身共に疲れていたアントニーは、次第にベートーベンを愛するようになり、結婚を考えます。
ですがここで思いがけない事が起こるのです。
それはアントニーの妊娠です。
この妊娠は、アントニーが夫であるブレンターノとの「別れの儀式」が原因だったのです。
そんな事からアントニーとベートーベンは、愛し合いながらも結婚する事はありませんでした。
ベートーベンの求婚を拒否した女性:テレーゼ・マルファッティ
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中にはベートーベンからの求婚を拒否した女性もいます。
それがテレーゼ・マルファッティです。
ベートーベンはエァデーディ伯爵夫人と喧嘩別れをした後、グライヒェンシュタイン男爵に結婚相手を探して欲しいと依頼します。
その時紹介されたのがテレーゼ・マルファッティですが、テレーゼ・マルファッティはベートーベンの求婚を拒否して他の男性と結婚してしまいます。
この時に作曲されたのが、かの有名な「エリーゼのために」です。
実はベートーベンの「エリーゼのために」は、よく同じ「テレーゼ」でテレーゼ・フォン・ブルンスヴィックと間違えられますが、本当はこのテレーゼ・マルファッティに向けて作曲された曲です。
そしてその時の曲名は「テレーゼのために」だったのですが、ベートーベンの字が汚かったので後世の人が「テレ」と「エリ」を読み間違え、「エリーゼのために」となったのは有名な話しです。
#豆事典 146#4月27日 は #ベートーベン が「#エリーゼのために 」を作曲した日🎼
「エリーゼのために」は 本来
「テレーゼ(Therese)のために」という曲名だったんだって🙄
(悪筆で解読不能などで エリーゼに)
(テレーゼは ベートーベンがかつて愛した女性❣️)#今日は何の日 pic.twitter.com/Tc08qtHYto— KakiP Factory (@KakiPF) April 27, 2018
ベートーベンの字が汚いからと言って、読み間違えるなんてあるんですね。
となれば、他の作品もひょっとしたら、本当は違う曲名になっているのもあるかもしれませんね。
ベートーベンと友達関係だった女性
次に、ベートーベンと友達関係だった女性をご紹介します。
ベートーベンと友達関係だったと言われる女性は、
- マリー・エァデーディ伯爵夫人
- ベッティーナ・ブレンターノ
- ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人
です。
ではそれぞれの人物についてご紹介します。
マリー・エァデーディ伯爵夫人
ベートーベンとマリー・エァデーディ伯爵夫人は婚約はしていませんが、一時、同じ敷地内で共同生活をしています。
そんな時ベートーベンにカッセル宮廷楽長の地位になれる話がやって来ます。
そこでマリー・エァデーディ伯爵夫人は同じ上流階級の人達に働きかけ、ベートーベンが死ぬまでたくさんのお金がもらえるようにしました。
そのお礼にベートーベンはマリー・エァデーディ伯爵夫人に、
ピアノ三重奏曲第5番・第6番、チェロソナタ第4番・第5番、そして3声のカノン『おめでとう、新年おめでとう』 を贈っています。
ベッティーナ・ブレンターノ
ベッティーナ・ブレンターノは 1785年4月4日、ドイツで生まれ、後にアヒム・フォン・アルニムと結婚します。
ベートーベンとは1810年に出会い、ベートーベンの才能を認め、かの有名なゲーテにその才能を伝えたとされています。
その為ベートーベンはベッティーナの事を「真の友」と呼んでいたそうです。
ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人
ドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人は、チェルニーやライヒャルトら同時代の作曲家にも高い評価を得ていたピアニストで、ベートーベンからピアノソナタの作品101を贈られた人物です。
そんなドロテア・フォン・エルトマン男爵夫人ですが、実は子供を亡くし嘆いていた所、ベートーベンが夫人を家に誘います。
そこでベートーベンは約一時間もの間、ピアノを弾いてくれたそうです。
ベートーベンは気難しいので取っ付きにくい性格だったと言われますが、こんな優しい一面も持っていたんですね。
ベートーベンの生涯・交響曲第四番の女性の名前は誰?
ベートーベンの生涯には多くの女性が登場し、その女性の為に作曲された曲もあります。
ここではその中の一つである「交響曲第四番」についてご紹介したいと思います。
一体この「交響曲第四番」の女性の名前は誰でしょうか?
それは「テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック」とされています。
当時、ベートーベンとテレーゼ・フォン・ブルンスヴィックは婚約していたのでその時に書かれたそうです。
テレーゼはピアノソナタ第24番「テレーゼ」もプレゼントされている事を考えると、いかにベートーベンがお熱だったのか分かりますね。
不滅の恋人はアントニー・ブレンターノが有力?
最後に、ベートーベンの最大の謎である「不滅の恋人」についてお話ししたいと思います。
「不滅の恋人」が誰なのかについては、
- テレーゼ・ブルンスヴィック
- ヨゼフィーネ・ブルンスヴィック
- マリー・フォン・エルデーディ
- 歌手のアマーリエ・ゼーバルト
- ジュリエッタ・グイチャルディ
と色々と言われていますが、一番有力なのは、
アントニー・ブレンターノ
だとされています。
なぜなら、ベートーヴェン学者であるメイナード・ソロモンが、「アントニーがベートーヴェンの不滅の恋人だ」と言っているからですが、実はそれもいまだハッキリと解明はされていません。
ベートーベンの晩年、アントニー・ブレンターノの娘であるマキシミリアーネが彼の近くに現れたそうです。
いくらベートーベンが女好きだとしても、若すぎるマキシミリアーネに恋をすると思いません。
となれば、その母親であるアントニーと考えるのが普通ではないでしょうか?
従って個人的には不滅の恋人はこのアントニー・ブレンターノではないか?と思っています。
まとめ
ベートーベンの生涯での婚約者一覧!
交響曲第四番の女性の名前は誰かについてもご紹介しました。
ベートーベンは身長が165cmと低く、服装にも無頓着だったようです。
なのにこれだけたくさんの女性と関わりを持てると言う事は、それだけ音楽が素晴らしかったからでしょう。
だから現在にもその音楽が受け継がれているのですね。
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